世界平和のために、心臓を捧げてほしい。

正論

もう既に、手段は限られている。

いや、もうこれ以上に
手段はないかもしれない。

心臓を捧げるほかに、
人類を救う手段があろうか。


彼ら、彼女らに問いたい。

あなたには
心臓を捧げる覚悟は
あるのかということを。

イジメに対して。

イジメは増える一方なのだと悟った。


インターネットが普及し、
SNSは大流行状態だ。

イジメの難易度が
これ程までに低い時代が
今までにあっただろうか。

いや、あるわけがないのだ。

イジメは増える一方である。

これを否定することは許されない。


イジメをイジメだと
外部に訴えることすら
叶わなかった“イジメ”もあろう。

一般に虐めとして扱われることなく、
被害者すらイジメ被害者だと
認識できていない“イジメ”もあろう。

多くの“イジメ”が
イジメとして集計されていない以上、
非常に残念だが
統計データはあてにならない。


イジメの告発は、
状況を踏まえれば、
不可能であると私は考える。

イジメを1つ1つ、
丁寧に解決へと導く、
そのような存在はこの世界にいない。

小さなイジメは無視される。

よって、イジメを
外部に訴えたところで、
取り合ってくれないのがオチだ。


イジメをイジメであると、
認識すらできていないこともある。

著名人への誹謗中傷や、
暴言、侮辱発言は、
有名税で掻き消される。

イジメの被害者として
扱われることはない。

残念だが、仕方がないのだ。



イジメは本来、
消えるべきものだ。

イジメ行為自体を、
許すべきではないのだ。

当たり前のことを言ってしまい、
非常に申し訳なく感じている。

だが、その『当たり前』を、
一体どれだけ多くの人が
十分に理解しているか、
私は少々疑問なのである。

イジメ撲滅のために
努力している人間を、
ネット上で私は見たことがない。

だからこそ、この場で、
常識となるべき文言について
記載せざるを得なかったのだ。


そう、今問題にしているのは、
イジメの存在自体ではなく、
イジメに対する
世間様の接し方についてだ。

いかにして世間様は、
イジメを見て見ぬフリ出来るのか。

いかにして世間様は、
イジメの加害を許しているのか。

疑問は膨らむばかりだ。


そして、私はこの疑問について、
私の脳内に監禁しておくのは
あまりに罪深いと感じたのだ。

世間様への公表によって、
世間様の立ち位置が変われば、
それほどまでに嬉しいことはない。


どうか、私のワガママに、
どうぞ最後まで付き合ってほしい。

そして私が辿り着いた『結論』を、
あるいはそれに至るまでの『経緯』を、
十二分に理解し、納得してほしい。


世界平和への道は、
今ここに、記される。

ズル賢い。

イジメへの世間様の対応は
どうにも理解し難い。

「参戦すれば自分が傷つくだけ」
「無視することが最善策」

間違いなく、この世界のどこかに、
闇の組織なる団体が存在するだろう。

国民を立派な傍観者に育てるため、
全国民を洗脳しているに違いない。

無論、笑えない冗談である。


被害者がどれほどの屈辱を受けても、
汚れた心の人間は手を差し伸べない。

被害者は命を絶ち、
汚い心を持った人間の命は助かる。

一応のため言っておくが、
不潔な心の人間というのは、
加害者ではなく世間様のことだ。



ここで世間様に嬉しいお知らせだ。

皆様はとても賢い人間だ。

私が言っているのだから
それに間違いはない。

保証してあげよう。


何故なら、イジメを受けている
被害者を見殺しにするといった、
素晴らしい選択を取ったからだ。

被害者を助けることで
多くの時間を失うことになるし、
下手したら
自分がイジメの標的になりかねない。

イジメ発生防止の活動をしたとして、
効果が現れるまでには
気が遠くなるくらいの時間が要るし、
とてつもない努力は必要不可欠だ。

「イジメの被害者には申し訳ないが、
私は救助隊でも警察隊でもないのだ。」

世間様による自らの選択を自己肯定し、
その選択が不幸を遠ざけた。

もう十分すぎるほどに、
あなた方は賢くなった。

もちろん、悪い方に。

言い換えれば、
皆様はズル賢いのだ。



「他の生き物のことなど、
家族でもない限り、
救おうとするのは時間の無駄。」

「自分のことだけ考えれば良い。」

そう世間様が考えているなら、
それは私にとっては間違いだ。

いや、“大間違い”だと訂正しよう。

それほどまでに世間様の行動を、
私はある意味、恨んでいるのだ。


断言するが、
世間様に良心は『残っている』。

イジメのニュース記事には
怒りのコメントが多数つく。

加害者が逮捕されれば、
加害者を叩く声が多数集まる。

これも“加害者へのイジメ”と
捉えることが出来るかもしれないが
少なくとも『イジメは悪』、
との認識は絶対に持っているのだ。

世間様はイジメについて無頓着だが、
イジメによる被害がどれほど大きいか、
知り、考え、理解する、
そのために必要な脳みそを
持っているようなのだ。


だが、浮かれてはいけない。

そう簡単に、世間様が、
重い腰を上げて行動を起こすと
思ってはいけない。

あの方々が、どれだけの被害を
見ないフリして生きてきたのか、
忘れてはいけないということだ。

ニュースが流れた直後は、
世間様も、イジメについて
深く考えるかもしれない。

だがそれも長くは保たない。

一週間後には、
イジメの存在を知っていながら、
ゲームを楽しんでいるはずだ。

イジメの存在を認知しているのに、
イジメの凶悪さを知っているのに、
行動が伴わないのだから
非常にタチが悪い。


よってただ単に、
良心に訴えかけるようなやり方で、
要するにイジメの問題点を
世間様に対し提示したところで、
一週間後には知らんプリだ。

意味がない。

価値がない。

成果を上げられない。

全くもってダメなのだ。



私は長期間悩み続けた。

イジメ撲滅活動に、
どれだけの価値を付与できるか。

世間様に行動を促す手段として
最も適切であり、効果がある、
『正解』があるかどうかを考えた。

考えた末、結論に辿り着いた。

心臓を捧げよ!

命を投げ打ってでも、
助けなければならない。

イジメという最低最悪の行為を
なんとしてでも抹消しなければ。

頭がおかしいと言われようが、
私は心臓を捧げることに決めた。

自らの命を壊して、
それでも無意味だったとしても、
これ以外に正解は“ない”。

博打でもやる価値はあるのだ。


そして、驚くべきことに、
心臓を捧げる“対象者”は
私だけではない。

イジメ被害者の力が必要だ。

イジメ被害者が、
心臓を捧げた時、
初めてこの計画が成り立つ。

イジメ被害者の心臓を捧げ、
イジメを撲滅するのである。

私が心臓を捧げても、
殆ど意味はないと言っていい。

私の自死はオマケみたいなものだ。



世間様が気にしているのは、
何故この結論に至ったのか、だろう。

無論、適当に言っている訳ではない。

イジメ被害者の命を
軽視しているわけでもない。

ただ、このまま、
指を咥えて待っていても、
あるいは助けを呼んだところで、
誰一人として世間様は“動かない”。

だからこそ、こちら側が、
最終手段を選ぶしかなくなった。



とある日、イジメ被害者が自殺した。

その時、ネット上は、
怒りの声で埋まっていた。

普段は誹謗中傷で埋められている
ネットの掲示板ですら、
その時ばかりは良心が“勝った”のだ。


自殺にはパワーがある。

私はそう考えている。

自殺志願者が自殺すれば、
それもイジメが原因であれば、
確実にニュースになってくれる。

そして世間様は、
イジメの被害者が
“また増えた”ことに苛立ちながら、
「イジメを許さない」と誓うのだ。

これは自殺者からの最後の訴えが、
世間様の耳に届いたからこそ
起きた“奇跡”なのであって、
自殺がなければ
このような“奇跡”は起きない。


イジメの撲滅に必要なのは、
『世間様の協力』である。

ただし、世間様は、
単なる正論だけでは動かない。

だからこそ、
心臓を捧げなければならない。

人の死は、彼らを動かすために
最も効果的であるという結論に
私は辿り着いてしまったのだ。

自殺という最終手段を選ぶ人が
世界にどれだけ居るのかを、
身を持って体感してもらうしかない。



今回、“心臓を捧げる”計画の
実行パターンのうち、
2つをみなさんに紹介しておきたい。


1つは、集団での一斉実行だ。

多くの人間の心臓を
一度に捧げることによって、
世界的ニュースになることは
間違いないと言える。

実行場所は全国各地が良いだろう。

出来る限りの人間に、
『身近で人が死んだ』と
強く認識させるためである。


もう1つは、
大勢による毎日の実行だ。

先ほど言った通り、
人が1人死んだところで、
世間様はすぐに忘れてしまう。

ただし、毎日心臓を捧げる者が
現れてくれるならば話は別だ。

毎日、それも数年間、
心臓を捧げればイジメは無くなる。



以上が、私の生み出した、
人類史上最悪の計画だ。

反発する者も居るだろう。

納得できない者もいるだろう。


だが、1つだけ知っておくべきだ。

お前らは黙って見ていただけだ。

贖罪の日々。

「イジメは見ないフリが一番である」

“心臓を捧げる”計画が終わった後も、
どうぞその腐った信念を
心ゆくまで貫き通していただきたい。

私の“良心”と、無数の心臓を、
無駄にしていただきたいのだ。

それはあなた達の護身の為に必要な、
大切な判断なのだから。


世間様に許された選択肢は、
大きく分ければ2つある。

1つは、潔く過去の罪を認め、
贖罪の日々を送ること。

そしてもう1つは、
過去の自らの行動を褒め称え、
我々の心臓を無駄にすることだ。


当然ながら、後者を選べば、
今後の生活は保証される。

外の世界で起きているイジメを
無視することで快感を得ながら、
罪を知らぬまま生きていけば良い。

それが、世間様にとって、
最も“楽”な選択であるのだ。


前者を選べば、世間様は、
今後幸せになることはないだろう。

多くの心臓を失ったことを
死ぬまで後悔し続けるからだ。

贖罪の日々に価値などない。

これが世間様にとって
最悪な選択であることは
間違いないだろう。



イジメを無視したところで、
あなたは加害対象にならない。

イジメ被害者を守ることで
得られるものはほんの僅かだ。

イジメを放置する選択が、
自己満足のために必要である。

そう思って、
今まで進んできたはずだ。

今まで、幾度となく、
命を見殺しにしてきたのだ。

今回も見殺しにすれば良い。

腐った思考を信じ続けた、
過去の自分を、
否定しないでほしい。

お前らが望んだ、物語だろ。



罪を重ねてくれれば、
それで十分なのだ。

イジメ加害者まで
天国に来てもらっては、
困ってしまうからだ。

屍の道を進め。

どの道を選んだとしても、
それが屍の道であることに
一切の変わりはない。

計画が実行されてしまえば、
あなた方は、
屍の道を進むことになる。

命が“奪われた”事実は
どれだけ否定しようとも
変わることがない。

過去は変えられないのだ。


あなた方が動く決断をせず、
救えたであろう命を失った、
その哀しみを背負って
前向きに生きていくしかない。

過去の自分を恨めばいい。

過去の自分を憎めばいい。

いつだって、
彼ら彼女らの願いは
一方的だった。

助けてくれはしなかった。

その残酷な現実が、
屍の道を作ったのだと、
心に刻むのだ。

そして、世間様には、
地獄を味わっていただきたい。

心臓の踏み心地、
心臓の上に立つ感覚、
全ての地獄を集めた、
とっておきのコース料理だ。


哀れで惨めな民達に、
1つだけお願いがある。

彼ら彼女らの命を
無駄になどしてはいけない。

絶対に、絶対にだ。

“心臓を捧げる”計画、
このトチ狂った計画を、
二度と繰り返してはならない。



屍の道を、進め。

多くの犠牲を払ってでも
手に入れたかった世界が、
すぐそこまで来ているのだから。

立ち止まってはいけない。

歩くのだ。

進むのだ。

胸を張って生きられる、
そんな世界を作ってくれることを
心から願っている。

あとがき

全ては手遅れだ。

これ以外の選択肢を
用意できるなら
早くしてほしい。

心臓を捧げる以外の方法を、
模索しても無駄だった。

仕方のないことだ。

多くの犠牲を以ってして、
この世界は平和を手にする。

この“ハッピーエンド”を
私のこの目で見れないのが
非常に残念で仕方がない。


私は悪魔に心を売ることも、
世界平和のためなら躊躇わない。

私が犯罪者として裁かれて
牢獄の中に入ろうと、
被害者による自死によって
どれだけの人が悲しもうと、
心臓を捧げる他ないことは
私が自信をもって主張するのだ。


しかしながら、
被害者は命を落とし、
加害者と傍観者が世界を造るとは
なんともまぁ、笑えない。

加害者が命を落とせば良い、
という問題でないことは確かだが
何故被害者は損ばかりなのか。



さて、私はこの計画を
実行すべきか、しないべきか、
まだ結論は出ていない。

選択肢が1択しかなかろうと、
あくまでこれは最終手段であり、
これが失敗すれば
人類に未来はないことが決まる。

だが、決定権は私にはない。

あなた方の頑張り次第である。

世間様が後悔を覚え、
これまでの行いが過ちであったと
十二分に理解した時に、
この計画は破綻する。


私のこの大量自殺計画を、
いかにして、止められるか。

人類の将来は、皆が決める。

ぜひ、頑張っていただきたい。



最後に、
被害者に対してもう一度、
問わせていただく。

あなたには、
心臓を捧げる覚悟は
あるだろうか。


ある、と答えた方々に、
敬意と、最後の言葉を。

覚悟を決めて……

……死んでくれ。

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